矢後至譜(やご みちつぐ)
1969年生まれ 大分県出身
小学校のころに見たタイガーマスクvsダイナマイト・キッド戦に衝撃をうけプロレスラーを目指すことを心に決めると、中学から高校まで柔道部で主将をつとめあげて社会にでると、周囲の反対を押し切り、新日本プロレス学校へ入学、一度挫折をあじわい故郷へ帰るが、熱いプロレスラーへの夢を抑えきれずに再び上京、アニマル浜口ジムの門を叩き本格的にプロレスラーへの道を歩む。
しかし、25歳で最後のチャンスにかけていた時、トラブルに巻き込まれ頬に7針を縫うケガを負いその後に控えていた新日本プロレスの入門テストを準備が不十分なまま受けることになり、あえなく不合格になる。
その時に試験官だった馳浩さんから投げかけられた言葉
「無理だった止めて帰っていいよ」
に心が完全に折れてしまう。
そして「25歳までにプロレスラーになれなければ、あきらめる」と両親と約束をしていたこともあり、プロレスラーへの夢をあきらめ、サラリーマンへ転身、それと同時にプロレスを観ることをやめてしまう。
その後,サラリーマンを10年間やるなかで、サラリーマンの限界を感じて、独立起業を目指しコンビニエンスストアのオーナーをやるなどするが、やはりそこにプロレス以上の情熱を見出すことが出来ないまま月日は流れる。
現在は、再びサラリーマンをやりながら、ようやく自分の心に整理をつけて、見はじめたプロレスがやっぱり楽しくて、熱くて、ワクワクさせてくれるものだと再確認できたので、このブログでその熱量を発信していくことを思いつく。