ちょっと前の投稿で、

 

「スピード感を見せることが出来ていなかったために新日本プロレスジュニアは浮上できなくなっていました。」

 

って話をちょっとだけしました。

なんでそんな事になってしまうのか?

今日はその新日本プロレスの特徴を伝えたいと思います。

 

そういえば、2月19日は「プロレスの日」だったそうです。

そこから続く日本のプロレスの歴史に感謝です。

 

さて、そんな日本のプロレスが誕生してから、2団体時代をへて現在の他団体時代になるんですけど

こと2団体時代、いわゆる黄金時代とよばれる時期、全日本と新日本の2強時代にこの原因が隠されてます。

 

この時代をよく知っているオールドファンなら、もうピンと来たかもしれないですね。

この時の両団体をどういう風に区別していたか、

では並べますね。

 

日本人対決の新日本

・外人vs日本人の全日本

格闘技路線の新日本

・王道プロレスの全日本

スピーディな新日本

・パワフルな全日本

 

こんな感じでしょうか?

 

当時、日本プロレスから正統な流れと言われた全日本プロレスと

差別化を図らなければいけなかった新日本プロレスです。

どうしても「真逆」をいく必要がありました。

 

ま、このお陰ですでに人気のあるレスラーではなく

無名でも実力のあるレスラーの発掘がうまくなったという

嬉しい副産物を産んだわけですけどね。

 

これもそのうちまとめてみましょうか(笑

話をもどしましょう。

 

で、

 

ここに出てきたキーワードが、いまの新日本プロレスジュニアを苦しめています。

さて、なんでしょう?

 

・・

・・・

 

スピーディな新日本

 

これです。

このスピーディーなプロレスを信条として絶大な人気を博した新日本プロレスですが、

これはジュニアに限らず、「ヘビー級」も同様です。

 

そう、

 

ヘビー級も同様なんです。

 

もともとスピード感はジュニアヘビー級のものでした。

この頃の全日本プロレスの試合とか見てみるとそれがよくわかります。

馬場さんたちヘビー級のもっさり感いっぱいの試合といったら・・・

 

もちろん「重さを感じさせる」スーパーヘビーなんで、それでいいんです。

だから全日本は昔からジュニアを軽視してるとか言われてましたね。

そんなことはないと思うんですけども(笑

 

ともかく、そんなメリハリがある場合はわかりやすくていいんですが、

こと、新日本プロレスはヘビー級もスピード感がありますから

ジュニアヘビー級はさらにスピードアップ

しなければいけなくなります。

 

これが厳しい!人間のスピードなんて限界があるじゃないですか

当時の新日本プロレスはタイガーマスクというキャラクターがいたので

それだけで目立っていたし、しかもスピード感が半端なかった。

相手をするダイナマイト・キッド選手のスピード感もすごかったです。

 

この2名の名選手のおかげで「新日本プロレスジュニアはこういうもの」

という既成概念がうまれたんです。

ただ、あんな天才が2名もそうそう生まれませんから(笑

 

新日本プロレスは初代タイガーマスク選手が電撃引退したあと、幸運にも

長州力選手 藤波辰爾選手というスピード感のある名選手が出てきていたので

ヘビー級は事なきを得ましたが、ジュニアヘビー級はそういきませんでした。

 

急造ヒーローのザ・コブラ選手は残念ながらスピード感に欠けました。

ダイナマイト・キッド選手は残ったものの、今度はそのスピードについていける相手がいないんです。

結局、スピード感が売りのジュニア選手なのにパワー志向へと舵を切ってしまいました。

 

 

逆にヘビー級は飛んだり跳ねたりが多くなってきました。

前にも紹介しましたが、天才・武藤敬司選手なんかその筆頭です。

当時はヘビー級がムーンサルトプレスとかありえませんでしたから!

 

そんな不思議な流れになってしまったジュニア戦線に現れたのが、

現在のヒーロー!リビングレジェンド

 

獣神サンダー・ライガー選手

 

でしょうか。

当時、もうハッキリ宣言してましたもんね

「スーパーヘビーを倒せるスーパージュニアになる」

って

 

これはジュニアの領域に入り込んできたヘビー級に対する

怒りだとおもうんです。

それでも新日本プロレスのヘビー級はよく飛びます。

 

これはもう修正不可能ですね。

マイケル・エルガン選手だって飛んじゃうんですから(笑

 

となるとジュニアは持ち味を出そうとすると、よりスピードを上げるか

より危険な飛び技を出すしかなくなります。

だから、

 

ヘビー級の選手にはあまり豪快な飛び技をしてほしくないんです。

 

いまの新日本プロレスジュニアは、その葛藤のなかで

なんとか人気を上げていこうともがいてます。

 

その答えが前回の

高橋ヒロム vs ドラゴン・リー

だと思います。

 

あの試合後に危険だのそこまでするのか?だのと議論を呼びました。

 

確かにそうなんですが、そこまでしないとジュニアの浮上はむずかしいんです。

これは前出のIWGPジュニア選手権の感想でも書きましたが

あのレベルの試合をこなそうと思ったら、相当な技術と信頼感が必要です。

 

いま、新日本プロレスジュニアはちょっと危険な方向へ舵を取りました。

 

今後の新日本プロレスジュニアがどうなるのか?

期待と不安が入り混じりますよね。

 

それでは!

投稿者: 矢後 至譜

1969年生まれ 大分県出身 小学校のころに見たタイガーマスクvsダイナマイト・キッド戦に衝撃をうけプロレスラーを目指すことを決意、中学から高校まで柔道部で主将をつとめあげて社会にでるとき、周囲の反対を押し切り、新日本プロレス学校へ入学、一度挫折をあじわい故郷へ帰るが、熱いプロレスラーへの夢を抑えきれずに再び上京、アニマル浜口ジムの門を叩き本格的にプロレスラーへの道を歩む。 しかし、25歳で最後のチャンスにかけていた時、トラブルに巻き込まれ頬に7針を縫うケガを負いその後に控えていた新日本プロレスの入門テストを準備が不十分なまま受けることになり、あえなく不合格になる。 「25歳までにプロレスラーになれなければ、あきらめる」と両親と約束をしていたため、やむなくプロレスラーへの夢をあきらめる 現在は、再びサラリーマンをやりながら、熱くて、ワクワクさせてくれるプロレスを、その熱量全開で伝えることで、周りの人の人生も、もっといいものにしてくれるものであることを発信中!

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