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新日本プロレス 2017 東京ドーム レッスルキングダム11 後藤洋央紀選手&柴田勝頼選手 インタビュー総括 – プロレスをみれば人生のすべては解決する!

さて、絡めば必ずベストバウトなふたりの登場です。

いきますよぉ ゴォーングッ!

 

まずは柴田選手が2016年磨きまくったNEVERのベルトを戴冠した後藤洋央紀選手です。

わたしは結構、後藤選手はすきなレスラーです。

とっても無骨で不器用なのにガツン!と説得力のある技を持っている。

魅力的なレスラーです。

 

が、

 

魅力的であるほど、好きであるほど辛口になるのがプロレスファンです(笑

まずしょっぱなからダメ出ししますが、インタビュー時間が短い!

チャンピオンになったのに 2分てなによ?

しゃべるの苦手なんですかね?

 

あと言葉に感情が乗ってない!もうこれ致命傷ですよ。

メインイベンターになるには感情のこもった言葉ってのはすごく大事です。

このあとでてくる柴田選手とエライ違いです。

ふたりの差ってのはこんな細かい積み重ねだと思っています。

 

最後に素直すぎるというかいい人すぎですよね。(笑

(※ホッとした感じが、ちょっとかわいいw)

「変化ってのは立ち位置だけで、そんなにおおきな変化なんてないんだけども」 とか

「早く治せ、しっかり治せ!再戦はそれからだ・・・」 とか言っちゃダメです!

まぁ ここは後藤選手の魅力でもあるんでしょうけど、もうちょっといきがる感じでいい思います。

 

自分が変わったのか?と聞かれたんなら堂々と

「おれはな CHAOS に入ってから、変わったんだよ!その証拠が このNEVERのベルト だろ?柴田のヤローはなんだかんだ言ってたけど、現実はコレ(ベルトを指差す)だよコレ! わかんだろ?肩のケガとか甘えたこと言わせねぇよ?去年は柴田がなにやら頑張ってたみたいだけど、オレはさ 今年はさ、このベルトをオレのちからで、それこそオカダの持ってるIWGPより輝かせてやるからさ ビッカビカに輝いた時に・・・柴田 オマエのリマッチ受けてやってもいいぜ。ま、その前にキッチリとさ、コンディション整えてこいって話だがな(ニヤリ」

くらいは言っていいはず

(※イメージはこの顔)

この顔ができるんだから、そのくらいのキャラは作って欲しいです。

 

さて、対するは惜しくも破れてしまいました前王者 柴田勝頼選手です。

うってかわって感情がバリバリでてました。

噛みしめるように噛みしめるように言葉をつむぎます。

この 「間」 が、聴くもの、観るものを惹きつけますね。

(※この全力を使い果たした感もいいですね。)

 

そして

 

「他のベルトなんかかんけぇねえよ。オレが一番だよ。オレの試合が一番だよ!」

「もうリマッチはしねぇよ。ゼッタイにしねぇからな!」

「オレはどこの国に行っても、どこいっても柴田勝頼のプロレスをする自信があるんで」

 

こういった強い言葉がさらに心に刺さります。

どうです?後藤選手のコメントと比べてみると全然ちがうでしょ?

ここは一番おおきな違いだとおもいます。(自分から質問を聞きに行く態度もそうですね)

 

後藤選手が本当の意味で変わることを願っているとも言ってましたね。

 

そしてふたりともが口にした同じ言葉があります。

 

「やっと試合(リング)で会話ができた」

 

すばらしい親友同士のストーリーはとりあえずの決着です。

柴田選手はこのインタビューで今年は大英帝国に行く(帰る?)と言っていました。

RPWという団体のベルトを持っているようですね。

 

BULLET CLUB とケニー・オメガ選手はアメリカ

柴田勝頼選手はイギリス

と新日本グローバル戦略は一気に加速していきそうですね。

 

しばらく見られなくなるのはちょっとさみしいですけど、海外でもかわらぬ柴田プロレスをみせていってくれると信じてます。

願わくば、戻ってくるまで後藤選手がNEVERのベルトにこだわって磨き続けてくれるのを願います。

 

次回は、LOS INGOBERNABLES de JAPON の面々です。

それでは

 

投稿者: 矢後 至譜

1969年生まれ 大分県出身 小学校のころに見たタイガーマスクvsダイナマイト・キッド戦に衝撃をうけプロレスラーを目指すことを決意、中学から高校まで柔道部で主将をつとめあげて社会にでるとき、周囲の反対を押し切り、新日本プロレス学校へ入学、一度挫折をあじわい故郷へ帰るが、熱いプロレスラーへの夢を抑えきれずに再び上京、アニマル浜口ジムの門を叩き本格的にプロレスラーへの道を歩む。 しかし、25歳で最後のチャンスにかけていた時、トラブルに巻き込まれ頬に7針を縫うケガを負いその後に控えていた新日本プロレスの入門テストを準備が不十分なまま受けることになり、あえなく不合格になる。 「25歳までにプロレスラーになれなければ、あきらめる」と両親と約束をしていたため、やむなくプロレスラーへの夢をあきらめる 現在は、再びサラリーマンをやりながら、熱くて、ワクワクさせてくれるプロレスを、その熱量全開で伝えることで、周りの人の人生も、もっといいものにしてくれるものであることを発信中!