あなたはプロレスが好きですか?

私のブログを御覧いただきありがとうございます。
少しでも私のことを身近に感じてほしいと思います。
そんな私はこんな人です。
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自己紹介します!
名前は 矢後至譜(やごみちつぐ)といいます
1969年9月生まれの乙女座です。
175cm の 98kgの堂々とした体格をしています。
産まれは 格闘技王国 九州の大分県です。
高校卒業までそこで暮らしました。
そんな私とプロレスとの出会いは小学校の時に夢中になって見ていたテレビの「歌番組」です。
歌番組でプロレス?そう思いますよね?では、その理由を説明しますね。
当時、人気のあったピンクレディが好きだったんで歌番組は毎週欠かさず見てました。そんなある日、いつものように歌番組を見ていると、なぜかテレビに映し出されたリングの上で、襲いかかる相手を投げ飛ばしたあとになにもなかったかのように歌い踊る「水着姿の女性二人組」がいました。
そうです「ビューティー・ペア」です!
私の初プロレス体験は全日本女子プロレスでした。
その時受けた画面のインパクトがあまりにも強烈だったので、気になってしまい毎週、女子プロレスを見るようになりました。
初めて見るプロレスは本当におもしろかったので夢中になっていき、調べてみると男子のプロレスというものがあることを知りそちらも見るようになってました。それが当時、金曜8時というゴールデンタイムで放送されていた、新日本プロレスの「ワールドプロレスリング」でした。
当初はアントニオ猪木さんの試合がメインだったりして、それほどのめり込むことはなかったんですが、
1981年4月23日
そんな私をとんでもない衝撃が襲いました。
タイガーマスクvsダイナマイト・キッド
いまや伝説になっているタイガーマスクのデビュー戦です。
これに頭をガツーン!と殴られたような衝撃を受けてからは、毎週金曜日が楽しみにになっていました。
「こんな動きが人間にできるんだ!」
「こんなにワクワクできるスポーツがあるんだ!」
「プロレスってなんて面白んだ!」
そうやってのめり込んでいったんです。
当時、小児喘息で身体の割に運動が苦手で、それを改善させるためという理由から母親にスポーツすることを勧められていました。
最初は少年野球をやってたんですが、なかなかレギュラーになれず、つまらなかったのを覚えています。
プロ野球の試合を観るのは好きだったんですけどね。
やっぱり自分でプレイ出来ないのはモチベーションも続かず、練習もサボったりして当初の目的だった
喘息の改善も果たせなくなってました。
そんな時に勧められたのが、柔道です。
もともと身体が大きかったこともあり、試合でも簡単に勝つことができたし、勝つとやっぱり面白くなるもので、面白ければ練習が辛くても練習場が学校から遠くても(4kmありました)毎週通うことができました。
おかげで小児喘息も早いうちに治り助かったのを思い出します。
そして、その時思ったのが、
「自分の力だけで勝利を味わえるなんて、なんて楽しいスポーツなんだろう」
ということでした。
その当時はそんなことを考えていましたが、もちろん自分の力だけで勝てるわけではなく周りのサポートあってのものだと今ではわかりますが、当時小学生だった私には気付くことはできませんでした。
そんな時にプロレスの面白さに触れたもんですから
「自分はプロレスラーになるために!そうだ!プロレスをやるために生まれてきたんだ!」
と、思い込むまでに時間はかかりませんでした。
周りにも「自分はプロレスラーになる!」と宣言して、よりいっそう柔道とプロレスの練習に没頭していきました。
本当は中学卒業と同時に入門をするつもりでしたが、親兄弟親類縁者、果ては校長先生から県議会議員まで巻き込んだ、大妨害作戦にあい、最後は母親の泣き落としに負け高校へ進学してしまいました。
いまでもこの判断は失敗だったと思っています。
親はもちろん私の将来を心配した上でのアドバイスだったんでしょうけど・・・。
ともかく、その時の親兄弟の考えは、「熱病みたいなもの、3年あれば諦めるだろう」ということだったんだそうです。
そんな事で諦めるわけないじゃないですか!
プロレスラーへの道
当然ながらその目論見を見事に裏切り、高校時代もプロレズ三昧で試合を見に行くより、やる方だった私は自宅の部屋に無理して購入したバーベルセットを置き、毎日ウェイトトレーニングとプロレス流のトレーニングを続け、中学時代よりさらに強固な意思を育み高校を卒業、新日本プロレス主催のプロレス学校へ入学しました。
「よし!これでプロレスラーへの道がひらけた!」
その時はそう感じていました。
新日本プロレス合宿所に隣接した野毛の道場で行われる練習は夢のようでした。
現役のプロレスラーが実際に生活をしている空間で、自分も同じように山本小鉄さんのシゴキを受けるなんて・・・。
決して変な趣味はないですけど「プロと同じ」というのが、どれほど感動を与えるものかはプロレスファンのあなたならカンタンにわかると思います。
実際に会える機会は少なかったものの、長州力さんが練習にフラッと現れたりした時はドキドキものでした。
しかし、都会のいろんな誘惑(特に異性)に免疫がなかった私は気持ちがフラフラしてしまったんです。
気がつくとバンド活動なんかしちゃってて・・・。
今でもなにしてたんだろ?って思います。
バンド活動にのめり込んでアルバイトで暮らしていたある日、流石に親の堪忍袋がキレてしまい、「プロレスを目指さないのなら就職をしろ!」という事になり、田舎へ帰ることになりました。
故郷の大分で半導体製造工場へ就職したものの、完全に魂の抜けた腑抜けになって毎日ぼんやりと過ごしいていました。
「オレ、こんなんでいいんだっけ?」
そんな自問自答を毎日繰り返していましたね。
その後、軽い鬱のようになり、会社を無断欠勤したりするようになってしまい、このままではダメになると思い、親元を離れ福岡の会社へ転職しました。
それでも自分がなにをしたいのか?という問の答えは見つからないまま過ごしていたのは同じです。
その間もプロレスはずっと見続けていて、やっぱり自分にはプロレスしかない!という結論に達し再び上京を決意しました。
こういう時はまったく迷いませんでしたね。
そして再上京し目指した先は
アニマル浜口ジム
当時、アニマル浜口ジム主催のプロレス道場からプロレスラーになる人が話題になっていました。
小原道由さん、小島聡さん、大谷晋二郎さんなどが取り上げられていました。
当時はプロレス学校もすでに無く、もう一度目指すならそこしかないと確信し、アニマル浜口ジムのプロレス道場へ入門し、再度プロレスラーを目指すことになったんです!
練習ではヒンズースクワットや腕立て腹筋背筋ブリッジなどの基礎練習を行い、それからスパーリングに入ります。
一通りの練習が終わると、人格形成の場としてアニマル浜口人生道場と銘打った、アニマル浜口会長の人生訓を全員で車座になって聞きました。
この時に聞いた言葉が今でも心に残っています。
「産んでいただき生かされて、命果てるその一瞬まで燃えて生きる」
本当に胸にしみた言葉でした。
アニマル浜口道場での練習は、普通にハードなトレーニングでした。
初日の練習後なんか帰りに地下鉄の駅へ向かう下り階段をまともに降りることすら出来ず、手すりにしがみつくようにしながら滑り落ちるように降りたのを覚えてます。
しかも半笑いで(笑
人間、疲れてる時ってなんの意味もなく笑っちゃうんだなってその時知りました。
それでも楽しかったなぁ。
その後、実は親にウソついて上京したのががバレてしまい、親から夢を追うのは25歳までという「謎の約束」をさせられてしまいました。
この約束が結果的に自分を苦しめることになりました。
それでもプロレスへの道がなんとか繋がった!そう喜んでいた、そんな23歳の夏でした。
あれ?23歳?
そうです!
期限は2年しかなかったんです!
それでもあんまり気にしてなかったのを覚えています。
プロレスラーを目指せる!その思いのほうが強かったんですね。
当時のアニマル浜口道場では現在、アメリカWWEで No1アナウンサーとして活躍されている船木勝一さん(現FUNAKI)が指導を行っていました。
私はなかなかにダメな練習生でしたが、道場のキャプテンをやれとか言われたこともありましたね。
そして、時にはU系やみちのくプロレスのリングに上っていた、現役のプロレスラーの方に来ていただいて
練習を手伝ってもらったりもしてました。
そんなプロレス漬けの毎日を送っていると2年なんてあっという間です。
私もさすがにヤバいと思ったのと、体力的にも自信がついたので入門テストを受けることになりました。
25歳の夏でした。
ギリギリになってでないと動かない、夏休みの宿題みたいですね。
その時、事件が起きたんです。
当時のアルバイト先におかしい人がいました。
いわゆる精神的におかしい人で、言動があまりにおかしいという理由でクビにされたほどです。
当時、従業員は一緒の寮に住んでいたのですが、ソイツがクビになり退寮する前日の夜中にやたらと部屋でうるさかったんですね。
「ドン!ドン!」と壁を叩いたり、奇声を上げるなどとても寝れません。
「うるせぇぞ!静かにしろ!」
そう文句を言いにいったソイツの部屋は、オレンジの豆電球の光だけが怪しく光り、壁には大きな穴が空いていました。
その中でゆらりとこっちを向いた時に、ニヤリと笑った顔は今も忘れません。
とにかく薄気味悪くなり、すぐ自分の部屋に戻りました。
今思うと隣の部屋だったのが運の尽きだったのかもしれませんね。
すると
数分してソイツが私の部屋にやってきました。
言いたいことがあるとのことだったので、さっきの事で誤りにでも来たのかな?と思いドアを開け話を聞きましたが、正直なに言ってるかわからないくらいにろれつが回っていませんでした。
面倒くさくなったし、会話にならないのでドアを閉めようと後ろを向こうとした瞬間!左目の端に光るものが見えました。
とっさに首を振ってよけたものの「ガツーン!」と左ホホに鈍い衝撃がきました。
「いてぇ・・・てめぇ!!」
私は怒りマックスでソイツに殴りかかろうとした時、口の中が謎の液体でいっぱいになりました。
「???」
あふれそうになり急いで床に吐き出すと、ぶわっと足元に広がる真っ赤な水たまりそして、そこに混ざる小さな白い塊・・・。
大量の血と砕けた歯の欠片 でした。
完全に頭に血の上った私は、目の前にニヤついてるソイツがいたので、喉輪を捕まえて床に叩きつけてそのまま押さえつけていました俗に言う、チョークスラムです。
ただ、その間も口の中に血があふれていましたから、上からソイツの顔にボトボトと血が滝のように降り掛かっていました。
そんな感じで夜中に寮の廊下で大騒ぎしたので、寝ていたと思われる同僚が慌てて出てきて私とソイツを引き離し、代わりにソイツを押さえつけてくれました。
そこで我に返った時に一気に襲ってきた、これまで味わったことのない激痛と胸が焼けるような嘔吐感・・・
その後は初めて救急車に乗り、救急病院で処置を受けました。
病院での処置が終わると障害事件ということになっていて警察で事情聴取も受けました。
ソイツは精神障害が元々あったらしく、そのまま精神病院へ送られ、二度と出てくることはないと刑事さんに聞かされました。
同時に慰謝料も取れないということも・・・。
結局、私の受けた傷は
左ホホに7針、舌に3針、左奥歯全損
という結構な大けがになってしまいました。
それが入門テスト1ヶ月前のことでしたので、ジムの仲間や浜口会長からは、今回はあきらめて次をめざしたほうがいいと言われました。
しかしその時、挑戦は25歳までという謎の呪縛に囚われていた私は強引にテストを受けることにしたんです。
が、
当時、最も厳しいと有名だった新日本プロレスの入門テストに調整が不十分な私が合格するわけがなく、あえなく不合格になりました。
悔しかったなぁ。
そして、当時の試験官だった 馳浩さんから投げかけられた言葉
「無理なら止めて帰っていいよ」
という一言で完全に心が折れました。
その時に心の折れた私は信じられないことに「25歳までに入門できなければ諦める」という謎の約束を受け入れてしまい
プロレスラーになる夢を諦めてサラリーマンになってしまったんです。
これが第2の選択ミスでした。
その後は、会社勤めを10年しましたが、サラリーマンの限界に気が付き、脱サラをしてコンビニ経営に乗り出したりしました。
だけど気持ちの入ってない人間が、成功者になれるわけがないですよね。
7年頑張ったその店も大きな借金を抱えて店を畳みました。
いまは知人の紹介では入れた会社でまたサラリーマンやってます。
完全に負け犬人生です。
そんな心身ともにボロボロになった時、ふとプロレスを見る機会がありました。
あの不合格になった入門テスト以来、意識的に避けてきた「プロレス」そこには昔と変わらずキラキラとした、肉体のライブステージが映っていました。
ちょっとだけコスチュームが派手になりましたが、紛れもなく自分が人生をかけたプロレスがそこにありました。
「あぁ、やっぱりプロレスおもしれえなぁ」
その時、自分でも気が付かずに涙が溢れているのがわかりました。
別に感動的な試合をやってる訳じゃなかった、それでも、画面に映るかつて目指した自分の夢を見た時、
「やっぱプロレスから離れらんねぇなぁ」
そんな自分の本心にやっと気が付きました。
あの入門テストから実に20年の歳月が流れていました。
遅すぎますね。
さすがにこの歳からプロレスラーを目指すことは無理だなって思い、さすがに断念しました。
もし目指すとか言ったら嫁になんて言われるか・・・。
なので純粋にプロレスファンとして、今度はプロレスに関わっていこう!
そう決意したんです。
まぁこれだけでも充分イカれてますけどね。
当然、家族は呆れてましたよ。
でもね。
人生賭けられる趣味なんて他になかったんです。
それだけでも私は幸せだとおもっていますし、後悔もしてません。
そりゃプロレスラーになれなかったのは悔しいですけど、プロレスを楽しむのはファンとしてでも可能じゃないかって思うようになったんです。
なので、私のプロレス人生はまだまだこれからなんですよ!
追伸
自分の過去話ですが、どのくらいの人が気にしてくれるのかな?
よかったら下のコメント欄に感想をください
1.プロレスを見始めたきっかけは?
2.好きなプロレスラーは?
3.プロレスラーに会ったことありますか?
を書いてください。もちろん今回の感想でもOK!
あなたのコメントが楽しみだなぁ(*´ω`*)
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では、これからよろしくお願いします!
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