Warning: Use of undefined constant ddsg_language - assumed 'ddsg_language' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/michitsugu85/michi-pro.com/public_html/wp-content/plugins/sitemap-generator/sitemap-generator.php on line 45
【新日本プロレス】G1 CLIMAX 27 岐阜・岐阜産業会館 7/30 速報版【ワールド】 – プロレスをみれば人生のすべては解決する!

G1CLIMAX27 Bブロック折り返し地点です!
しっかりと見ていきましょう。とか、言いながら16:30開始を忘れていたわけですが(苦笑

第5試合まで見逃しました!あとでアーカイブチェックして加筆します!

 

7/30 岐阜・岐阜産業会館

第1試合 デビッド・フィンレー・北村克哉・八木哲大× vs バットラック・ファレ&チェーズ・オーエンズ◯&高橋裕二郎 

 

第2試合 真壁刀義&海野翔太× vs ザック・セイバーJr&エル・デスペラード◯ 

 

第3試合 永田裕志&岡倫之× vs 石井智宏&YOSHI-HASHI◯ 

 

第4試合 棚橋弘至&田口隆祐◯ vs 飯伏幸太&川人拓来× 

 

第5試合 後藤洋央紀&外道× vs 内藤哲也&高橋ヒロム◯ 

 

第6試合 Bブロック EVIL(3勝1敗)◯ vs 矢野通(1勝3敗)× 

EVIL選手が矢野通選手の”矢野マジック”にハマるかどうか?が焦点でした。
結局、DVD宣伝もさせないまま、矢野通選手はほとんどなにもすることが無いまま EVIL選手の勝利になりましたね。
あえてこの試合の見どころを言えば、矢野通選手の金的をレフェリーが初めて止めたことくらいです。

 

第7試合 Bブロック 鈴木みのる(2勝2敗)◯ vs タマ・トンガ(2勝2敗)× 

入場時からもうめちゃくちゃな試合になりましたね、もうゴングが鳴る前から大乱戦です。
場外戦がずっと続く異様な公式戦でしたが、タマ・トンガ選手のラフファイトがこれまには見られなかったレベルで激しかったです。

正直、勝敗度外視なのか?と思うくらいでした。
【新日本プロレス】G1 CLIMAX 27 7/22 後楽園ホール 速報版【ワールド】のケニー・オメガ戦以降、まだまだモヤモヤしたものが胸にあるように思えてなりません。
最終的には 鈴木みのる選手の勝利になりました。

 

第8試合 Bブロック マイケル・エルガン(2勝2敗)× vs SANADA(2勝2敗)◯ 

初対決特有の探り合いから開始した試合です。
やっぱり マイケル・エルガン選手も SANADA選手も試合ウマいし身体能力が高いですよね。
試合序盤で SANADA選手が肩を痛めたような素振りをしててちょっと心配です。

しかしここでマイケル・エルガン選手に勝ったのはデカいですね。

 

第9試合 Bブロック 小島聡(0勝4敗)× vs ケニー・オメガ(3勝1敗)◯ 

正直、ケニー・オメガ選手の負ける要素が見当たりません。
これだけコンディションのいい 小島聡選手ですら勝つイメージが全く浮かばないんですよね。
もう相手が悪すぎましたとしか言いようがありません。

終盤、CCDまで出した小島聡選手の猛攻を振り切り ケニー・オメガ選手が勝利しました。
やっぱり強い!

 

第10試合 Bブロック ジュース・ロビンソン(1勝3敗)× vs オカダ・カズチカ(4勝)◯ 

メインで当たるIWGPヘビー級王者 オカダ・カズチカ選手との初シングルマッチなのに・・・
悔やまれるのはその左膝の負傷です。
もちろん 100%の状態でも今の オカダ・カズチカ選手には勝てるとは思いません。

思いませんけど、やっぱり万全の状態でチャレンジしてほしかった!
いや、させたかった!と心から思います。

最後にオカダ・カズチカ選手に最後に「あえて言ってやる!IWGPは遠いぞ!」とまで言わせた程、ジュース・ロビンソン選手への期待感を持たれていただけにほんとに悔しい!
CHAOS入りとか・・・ないか。

 

7/30 岐阜・岐阜産業会館 試合後の星取表です。

 

本当にだれが止めるんだろね?

 

無料プレゼント!           

 

LINE@への登録はこちらから

投稿者: 矢後 至譜

1969年生まれ 大分県出身 小学校のころに見たタイガーマスクvsダイナマイト・キッド戦に衝撃をうけプロレスラーを目指すことを決意、中学から高校まで柔道部で主将をつとめあげて社会にでるとき、周囲の反対を押し切り、新日本プロレス学校へ入学、一度挫折をあじわい故郷へ帰るが、熱いプロレスラーへの夢を抑えきれずに再び上京、アニマル浜口ジムの門を叩き本格的にプロレスラーへの道を歩む。 しかし、25歳で最後のチャンスにかけていた時、トラブルに巻き込まれ頬に7針を縫うケガを負いその後に控えていた新日本プロレスの入門テストを準備が不十分なまま受けることになり、あえなく不合格になる。 「25歳までにプロレスラーになれなければ、あきらめる」と両親と約束をしていたため、やむなくプロレスラーへの夢をあきらめる 現在は、再びサラリーマンをやりながら、熱くて、ワクワクさせてくれるプロレスを、その熱量全開で伝えることで、周りの人の人生も、もっといいものにしてくれるものであることを発信中!

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。