私的 プロレス・スーパースター DX : ハヤブサ (No.001)

試合観戦がない時の企画始めます!思い出に残る選手
めちゃめちゃ個人的な観点で紹介していきます。

「このレスラーって知ってますか?」みたいな
リクエストも受け付けますので、遠慮なくどうぞ!

さすがに力道山先生まで戻ると記憶に無いので
そこはカンベンしていただけると泣いて喜びます(笑

では、ゴーングッ!!

 

 

リングネーム:ハヤブサ

1968年11月29日 熊本県出身
本名はマスクマンのため私は非公開とします。
所属:FMW→新生FMW
得意技:フェニックス・スプラッシュ
ファイヤーバード・スプラッシュ、ファルコン・アロー
キメ台詞:「お楽しみは!これからだ!」

 

<略歴>

1991年5月5日 大仁田厚選手率いる FMWでプロレスデビュー

1993年9月 メキシコでハヤブサに変身

1994年 各団体のJr戦士を一同に集めた祭典「スーパー J カップ」にてその類まれな身体能力から繰り出す、鮮やかな空中殺法でインディー団体所属ながら一躍スターダムにのし上がる。

1995年5月 凱旋帰国し大仁田引退後の新生FMWの新エースとして活躍(大仁田選手の引退試合の相手も務めた)

1997年 新崎人生(現・みちのくエンタテイメント社長)とのタッグで全日本プロレスへ参戦、アジアタッグ戴冠、同年プロレス大賞受賞

 

2001年10月22日 後楽園ホール大会にて,ムーンサルトアタックを狙いコーナーセカンドロープへ飛び乗った時に足を滑らせマットに後頭部から落下、頚椎損傷による全身不随で生死の境をさまよう

 

その後15年間、車椅子生活を続けることになる。

 

シンガーソングレスラーとしてCDをリリースしたり、講演会を開いたりと、精力的にリング外活動を行いながらリハビリを続けていた。
近年は杖をつきながらも自力で歩行が可能なことろまで回復をみせていたが・・・

 

2016年3月3日 くも膜下出血によりこの世を去る、享年47歳

 

 

<私の中のハヤブサ像>

あなたはご存知ですか?
「生涯現役」を貫いて最後までリング復帰を諦めずに戦った不死鳥の話です。
まさに伝説となった名レスラーですね。

私がはじめてハヤブサ選手を目にしたのはスーパー J カップだったと思います。
スラリとした細身で長身の派手なマスクとコスチュームをまとった選手が
見るものを魅了するように縦横無尽にリングの中外関わらず飛んで戦っていました。

しかも相手は”リビング・レジェンド”獣神サンダー・ライガー選手です。

多分、一番怖い時代のライガー選手じゃなかったかと思います。
その相手に臆すること無く挑んでいく ハヤブサ選手 は当時も新日本信者だった私でさえ「カッコいい!」と感じました。

細身な身体なのでスタミナや打たれ強さはどうか?と思っていました
打たれ強さはまずまずでしたけど、後半はスタミナ切れしたなか粘ってました。
まだ若かったから発展途上だったんでしょうね。

しかも、緊急帰国しての初戦、メジャー団体「新日本プロレス」のリングでテレビマッチ、おまけに相手が世界の獣神サンダー・ライガー選手とか
どんだけプレッシャーがあったことか!

わたしだったらもうリングにあがっただけでスタミナ切れしてると思います。

その後は、FMWの所属ということもあり会場にいかなければ会えない存在
それこそ、週刊プロレスで姿を見るくらいしか出来ませんでした。
今ならネット配信で見ることも出来たんでしょう。

それでも、ついつい姿は気にしちゃいました。ミーハーです(笑

その後はもう新生FMWのエースとして満身創痍になりながらも、団体を支え奮闘していましたが、そのがんばりがアダとなって、あの不幸な事故にみまわれました。

でも

ハヤブサ選手は全くあきらめていませんでした。
全身不随の状態から、何年かかったっていいからリングに上がるんだ!という鋼鉄の意思のもと、リハビリに取り組みました。

この姿はプロレスの枠をこえて、一般マスコミまでも巻き込んだのでもしかしたら、あなたもご覧になったことがあるかもしれませんね。
そういえば24時間テレビにも出てたんじゃないかと思います。

その後は歌を出したり、講演会などで人を元気づけながらリハビリを行いここ数年は平地で杖があれば自力で歩けるまでに回復していたんです!
この回復力ってさすがプロレスラー!!とあえて言わせてもらいます。

・・・でも、やっぱり訃報を聞いた時は泣いちゃったなぁ

そこまで深く知っているわけではないし、生観戦したわけでもないけれどあのスーパーJカップでの輝きは目に焼き付いていましたね。
無意識にあのノータッチ・トペ・コンヒーロが基準になってました。

その後の活躍も同年代として、どこか励みになってたんだと思います。
だって私と1つしか年齢が違わないんですよ。
あ、わたしが年下ですけどね(笑

とにかく

ハヤブサ選手のがんばりはすごくたくさんの人を勇気づけたと思います。
もしかしたら、わたしはその筆頭だったかもしれません。
正直、マジでリング復帰するんじゃないか?とさえ思ってましたから(笑

ハヤブサ選手がリング復帰にむけて戦い続けた15年
わたしがプロレスを諦めて歩んだ普通という道15年

それでも

わたしはこうやって大好きなプロレスに戻ってこれました。
演じる側にはなれないけれど、こうやって自分の言葉でだれかに伝えることはできます。

また、ハヤブサ選手には勇気をもらったような気がします。
わたしは私のプロレスをこうやってネットの海から発信していきます。
こんどはあきらめないでね(笑

そう

 

「お楽しみは!これからだ!」

 

ちょっと恥ずかしいですね(笑

ちなみにハヤブサvsライガーのJカップはYouTubeにありました。
キーワード ハヤブサ ライガー Jカップ で出てきます。
つい懐かしくって何回も見ちゃいました(笑

次回の列伝はファンタスティカマニアが終わったくらいにでも
更新できればと思ってます。

今回はわたしが尊敬している方からのリクエストにお答えしました。
つぎは私がプロレスラーを目指すキッカケになったアノ選手です!
ヒントは 「我々の次元とは住む次元が違う人!」です。

感想とかリクエストとかいただけると、すっごく助かります!

それではまた次回!

投稿者: 矢後 至譜

1969年生まれ 大分県出身 小学校のころに見たタイガーマスクvsダイナマイト・キッド戦に衝撃をうけプロレスラーを目指すことを決意、中学から高校まで柔道部で主将をつとめあげて社会にでるとき、周囲の反対を押し切り、新日本プロレス学校へ入学、一度挫折をあじわい故郷へ帰るが、熱いプロレスラーへの夢を抑えきれずに再び上京、アニマル浜口ジムの門を叩き本格的にプロレスラーへの道を歩む。 しかし、25歳で最後のチャンスにかけていた時、トラブルに巻き込まれ頬に7針を縫うケガを負いその後に控えていた新日本プロレスの入門テストを準備が不十分なまま受けることになり、あえなく不合格になる。 「25歳までにプロレスラーになれなければ、あきらめる」と両親と約束をしていたため、やむなくプロレスラーへの夢をあきらめる 現在は、再びサラリーマンをやりながら、熱くて、ワクワクさせてくれるプロレスを、その熱量全開で伝えることで、周りの人の人生も、もっといいものにしてくれるものであることを発信中!

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